昭和39年10月10日のこと
東京オリンピックの開催で世間は湧いていた。その日私は土曜日の半どんで会社の同僚と野球の試
合をするのに「三鷹球場」に行っていた。
グラウンドから見上げると自衛隊のジェット機が五輪のマークを描いていて、抜けるような青空を今も
覚えている。
当時私は、銀座支店に勤務しており 港区、文京区、大田区、品川区の工事担当をしていた
まだ住宅ローンが無い時代で家を建てるのはお金持ちが多かったように思う。私の月給は2万3000
円で木造住宅の坪単価は5万円であった。10倍すると今の価値に近いと思う。
そのころは住宅といえば無筋コンクリート、屋根は鉄板葺で内壁は荒壁(あらかべ)漆喰塗り、
外部建具はすべて木製。アルミサッシはまだできていなかった。もちろん断熱材はなし。
キッチンはタイル貼りか人研(じんとぎ=人造の研いだ建材 テラゾーともいう)の流しでした
サンウェーブのステンレス流しが出来たのは随分後のことである。
ひとことで言うなら、屋根と壁と床だけの住居である
あれから47年、住居の造り方は著しく進化した。屋根・外壁・基礎は外断熱、外部建具は樹脂サッシ
で、ガラスはアルゴンガス入りのLow-Eペアガラスに変わった
さらに第1種換気システムで外気は直に室内に入らない。
システムキッチン、バスユニット(当時はタイル貼りの浴槽)洗面台ユニット、水洗トイレ
昭和39年当時からみると夢のような住居である。
過去47年の進化の歴史をうけて、住居はこれからも進化し続ける。
“今日より明日”我々は住居の未来に向けて歩み続けるのだ。